「1日の終わりに」という話。

1月15日(金)~29日(金)までの2週間、

久茂地リバー沿いにありますたそかれ珈琲さんで、

言葉の展示、

「暮らす、綴る、繰り返す。」

をさせていただいています。

日々の生活で感じた事を10+αの物語にのせて展示しています。

このブログ上で、

展示している物語に副音声的解説を加えて、

1日1話づつ紹介していこうと思っています。

 

今日はその第10弾です。

(以下、展示しているお話です)

 

「1日の終わりに」

 

PM 11:55

 

幸せってなんだろう。

私にとって。

みんなにとって。

 

こんなことを考えている私って痛いやつ。

 

朝から無難に仕事をこなし、

レンジでチンした昼食を食べる。

無理やり笑顔をつくりながら午後の仕事もそれなりにこなし、

仕事帰りに夕食を食べる。

仲の良い同僚たちと会話をしなかったら、

ここまでの出来事は記憶どころか、記録にも残さないかもしれない。

そして、家に着いてお風呂に入り、

缶ビールをあけてソファーに寝転がる。

スマホの画面でSNSをひらき、

友達やまだ出会ったこともないその誰かが、

今日1日をどのように過ごしていたのかをぼんやり眺める。

あとは寝るだけ。

これが私の1日。

 

それぞれの瞬間はとても楽しいけれど、

誰かに紹介するような特別なことは私の周りには起こらない。

昨日もそう。

きっと明日も。

 

それなのに、私はまた明日を求めてしまう。

だからこそ、私はまた明日を求めてしまう。

何も起こらない、それでいて幸せな毎日が続くことを期待して。

 

そんなこの世界が、

私は大好きで、大嫌い。

 

みんな、おやすみ。

 

(以上、展示しているお話です)

 

これはもう書いたことそのままですねー。

何かがあろうが、なかろうが、

今日も明日も大事な1日だと思う。

 

みんなのSNSを見ていると、

自分だけが平凡な1日を過ごしているような気持ちになる。

みんな楽しそうな写真をアップしてるけど、

自分には何もないなーって。

でももしかしたら、

本当は自分にも特別なことが起こっていて、

それに気が付いていないだけなんじゃないか、

とポジティブな気持ちで1日と向き合ってみる。

きっと面白い瞬間が訪れる、

きっとみんなに話したくなるようなハプニングが起こる、

さぁ、どの瞬間をSNSに投稿しようかなー、

なーんてネタ探しをするような気持ちで1日を過ごしてみると、

そう、

やっぱり普通の1日なのである。

 

日々の暮らしとはそういうものなのだと思う。

誰かに伝えたくなるような特別な出来事なんて、

そう簡単には起こらない。

 

僕は「アフタースクール」という映画が好きで、

その中で、

「学校がつまらないのは、学校のせいじゃない。お前がつまらないのは、お前のせいだ」

というセリフが出てくる。

このセリフを僕はとっても気に入っている。

なぜなら、

まさにそのとーりだと思うから。

つまらないと思ってやっていることは、

やっぱりつまらないよね。

 

何かがあろうが、なかろうが、

その1日を楽しんだらいいんじゃないかな。

どんな小さなことだって、

喜んだらいいんじゃないかな。

特別なことが起こらないことを、

平和でいいねーなんて笑いながら過ごせばいいんじゃないかな。

 

こーやって文章を書いていることが誰かのためになるかどーかは知らないけど、

自分が楽しいんだからそれでいーじゃねーか、

と思いながら、この物語を綴ったのでした。

 

最後まで目を通していただきありがとうございます。

 

展示11日目終了でございます。