ご来展ありがとうございました。
1月15日(金)~29日(金)までの2週間、
久茂地リバー沿いにありますたそかれ珈琲さんで、
言葉の展示、
「暮らす、綴る、繰り返す。」
をさせていただきました。
本日その最終日でありまして、
おそらく無事にその全日程を終了いたしました。
(いぇい、いぇーい)
今回こーやって「展示」ということのために文章を書いて、
色々なことを発見することができました。
自分のボキャブラリー、
大切にしたい想い、
沖縄での暮らしの整理、
日本語の美しさ・面白さ・難しさ、
展示する側の立場、
・・・などなど。
展示していたパネルを壁から1枚1枚はがすたびに、
物語を読んでくれた優しい人たちのお顔が頭に浮かび、
震える手で溢れる涙を拭いながら撤収作業をしました。
そしてその後、おいしいワインとパンでワーっとやりました。
さいこー。
展示を見にきていただいた方々。
このブログを読んでいただいた方々。
たそかれ珈琲目的で来店してたまたま目撃しちゃった方々。
皆さまのおかげで楽しい展示をすることができました。
色々な感情がたーくさんあって、
それをここに綴りたいのですが、
なんせ私、
文章をつくるのが苦手なもので。
今一番言いたいことを一言だけ。
本当にありがとうございました。
最後まで目を通していただきありがとうございます。
展示15日目終了でございます。
これにて閉展ガラガラ。
「暮らす、綴る、繰り返す。」という話。
1月15日(金)~29日(金)までの2週間、
久茂地リバー沿いにありますたそかれ珈琲さんで、
言葉の展示、
「暮らす、綴る、繰り返す。」
をさせていただいています。
日々の生活で感じた事を10+αの物語にのせて展示しています。
このブログ上で、
展示している物語に副音声的解説を加えて、
1日1話づつ紹介していました。
そして昨日、
展示している11話の解説にブログ限定の1話を加え、
すべての物語の紹介が終了いたしました。
さて、展示期間は今日を含めあと2日。
最終日までブログのネタがないじゃない・・・
とは言いません。
今までは各物語に込めたメッセージ的な部分を解説していましたが、
「暮らす、綴る、繰り返す。」
という展示の中で僕がこっそり遊んでいた部分を解説していきたいと思います。
各物語の冒頭には時間が記録されています。
ブログ上では時間軸の順番に紹介しましたが、
展示していたものは時間軸をあえてバラバラにしていました。
時間軸の通りに並べて整理すると、
①夜明けの街
②タンブラーの中身
③私だけが知っていること
④日課
⑤ランチタイムブルース
⑥角度
⑦たそかれ
⑧お客様は神様
⑩1日の終わりに
⑪もう1つの街
⑫タラ、カモ、レバー
の全12話で構成されています。
各物語に自分なりの想いを込めたつもりなので、
すべて読まずとも、それはそれで話は完結するのですが、
全12話が1つの物語になるように遊んでみました。
登場人物を確認しながら、物語を整理していくと、
①で朝日を見に男性が出かける。
②でタンブラーの中身についてあれこれ言う男性を女性が見送る。
ここまでは特に変化球なしです。
次から複数回登場してくる人がでてきます。
③でカップルが朝食を食べる。この男性は①の人です。
缶珈琲を持って朝日を見に行ったけど、
そこでは飲まなかったのでコップに注いで飲んでいるというわけです。
④の日課を崩す女性は②で旦那を見送った人です。
旦那はタンブラーの中身が水またはお湯だと思っていますが、
本当は違うものをいれて楽しんでいるようです。
⑤は後輩的な立場の人がランチタイムを見つめている様子です。
男性1人、女性2人の計4人で1つのテーブルを使用しています。
ここでタンブラーを片手に持論を展開している男性は②の人ですね。
タンブラーの中身は水でもお湯でもなく、スポーツドリンクだったようです。
女性2人はまたどこかで登場します。
⑥の掃除をした女性は②④の女性ですね。
いつもの日課を崩したので掃除をする時間がいつもと違ったのでしょう。
疲れて寝転がりますが、このあとどこかに出かける予定があります。
⑦で珈琲屋に行ったカップルは③の2人です。
せっかくの休日なのに朝日を見るためにこっそり早起きした彼は昼寝をしてしまうが、
彼女に起こされて珈琲屋へ行く。
店内にはすでにカウンターに男性が1人、ソファー席に女性が1人。
(書いている自分もややこしくなってきましたが続けますよー)
⑧のカウンター席に座る男性。
⑦のカップルと同じ店内にいることになりますね。
ソファー席に女性がいるので同じ時間にそこにいたということです。
⑨はバッタに話しかける女性は⑤に登場します。
動物や花に話かけちゃうような不思議な女性ですね。
⑩の自分は痛いやつと思っている女性も⑤に登場します。
この女性にとって「わかるー」と共感できる同僚との会話は、
1日の中でとても大切な時間になっているようです。
(頭が混乱してきましたが、もう少しで終わりますよー)
そして⑪はもう1つの街で仕事をする男の子です。
①で「この街の住人はみんな箱に入れられていて~」と、
この世界を誰かが管理しているのではという空想を語り、
⑧で何やら怪しい箱を持つ男性がいることで、
もしかしてそれは現実なのでは、
と疑問を抱いたところでこの⑩で本当にこの世界を管理している誰かがいるんだ、
と確信を持つというところでしょうか。
そしてラスト⑫の男性。この人は②⑤に登場していますが、
実は①にも登場しています。
朝日を見ていた男性と挨拶を交わしたジョギングしている人はこの人です。
なので玄関にジョギングシューズがあるわけですね。
そして奥様と珈琲屋で待ち合わせ。
つまり②で登場した女性は⑥で掃除をしたあと、
珈琲屋に出かけてソファー席に座ったわけです。
それは⑦⑧の物語にちらりと出てきますね。
奥様と合流した際に珈琲をこぼしてしまい、
ジョギングシューズにシミができてしまいました。
・・・さぁ、だいぶ複雑でしたが、
1度登場したあの人が、
今度は別の物語で登場したりと、
どこかで繋がりをもたせるように自分なりに遊んでみました。
本当に理解しようと思ったら、紙にかいてみることをおすすめします。
そしてもー1回物語を振り返ってもらえたら嬉しーです。
そうそう、この展示、
タイトルが「暮らす、綴る、繰り返す。」なんです。
文字通り僕が日々の暮らしで感じたことを綴ったものなんですが、
では繰り返すとは。
⑫の男性はジョギング中に挨拶を交わした男性の姿を見て、
明日はジョギングではなく、朝日を見に行こうと決意します。
今日見た他者の行動を参考にして、明日の行動をこの人は決定しました。
明日という1日では、
この人の行動を見て、また違う人が同じような感情を抱き、
それが繰り返されていくという世界の進み方もあるのではないでしょうか。
①から順に⑫へと物語が進み、
今度は主人公が入れ替わってまた①から⑫へと物語は進んでいく。
その時に抱く感情は異なることかもしれないけど、
そうやって日々の暮らしは繰り返されていくのではないかと思います。
僕が日々の暮らしを綴り、
それをどこかの誰かが受け取り、
たとえ僕が思い描いたカタチとは異なっていたとしても、
また次の誰かへとそれが繋がっていく。
それの繰り返しによって、日々の暮らしがつくられていく。
そー考えたら、
日々の暮らし以上に面白いものなんてないのではないか、
とさえ思えてくる。
最後まで目を通していただきありがとうございます。
展示14日目終了でございます。
いよいよ明日は最終日です。
「タラ、カモ、レバー」という話。
1月15日(金)~29日(金)までの2週間、
久茂地リバー沿いにありますたそかれ珈琲さんで、
言葉の展示、
「暮らす、綴る、繰り返す。」
をさせていただいています。
日々の生活で感じた事を10+αの物語にのせて展示しています。
このブログ上で、
展示している物語に副音声的解説を加えて、
1日1話づつ紹介していました。
そして昨日、
展示している11話の解説がすべて終了いたしました。
(やったぜー)
さて、展示期間は今日を含めあと3日。
最終日までブログのネタがないじゃない・・・
とは言いません。
たそかれ珈琲さんには展示していない物語を1つつくったので、
以下に紹介します。
では、第12弾の物語です。
(以下、ブログ限定のお話です)
「タラ、カモ、レバー」
AM 1:02
玄関にはジョギングシューズが1足。
いつもの珈琲屋さんで妻と待ち合わせをした。
仕事が思っていたよりも長引いてしまったため、予定時刻より遅くなってしまった。
慌ててソファー席に座り、足を組んだその時、
勢いあまってテーブルの脚を蹴飛ばしてしまい、カップが倒れた。
なので、正確には、
玄関にはこぼれた珈琲が染み込んだジョギングシューズが1足。
お気に入りの青いシューズも、部分的に茶色く染まっている。
この街を離れるということは2年ほど前から頭の片隅にあった。
「住みたいから」という理由で引っ越してきたこの街を、
こんなにも満喫しているのは、川沿いにあるいつもの珈琲屋のおかげだろう。
小さい頃、自宅から友達の家まで海水パンツのまま移動していた僕には、
あれが川だということが未だに受け入れられないのだが。
もし珈琲屋がなかったら、
僕はもっと早く、この街を離れていたかもしれない。
いや、ずっとダラダラとこの街に居続けていたかもしれない。
玄関にはこぼれた珈琲が染み込んだ履き慣れたジョギングシューズが1足。
明日はこの街を走り抜けるのではなく、
のんびりと見下ろしてみようと思う。
今朝挨拶を交わした彼がやっていたように。
明日の朝はもうすぐそこ。
旅立ちの朝ももうすぐそこ。
(以上、ブログ限定のお話です)
最後まで目を通していただきありがとうございます。
展示13日目終了でございます。
「もう1つの街」という話。
1月15日(金)~29日(金)までの2週間、
久茂地リバー沿いにありますたそかれ珈琲さんで、
言葉の展示、
「暮らす、綴る、繰り返す。」
をさせていただいています。
日々の生活で感じた事を10+αの物語にのせて展示しています。
このブログ上で、
展示している物語に副音声的解説を加えて、
1日1話づつ紹介していこうと思っています。
今日はその第11弾です。
(以下、展示しているお話です)
「もう1つの街」
AM 未明
あっちの世界では今日も色々なことがあったよ。
もっと隅々まで観察して、色々な人の行動を報告しなきゃいけないけど、
この仕事をはじめたばかりで慣れていないし、
それに僕はまだ子どもだから大目にみてもらおう。
そうだ、
あなたやあなたの子供もいつかこういう仕事をするかもしれないから、
大切なことを教えておくね。
本当はこの仕事をしていることを誰かに教えちゃいけないんだけど、
今回は特別に。
箱に取り付けられている小さな窓は勢いよく動かさないこと。
急にたくさんの光が入ると、みんなパニックになっちゃうからね。
閉める時も同じ。急に真っ暗にしちゃうのもダメなんだ。
あと、持ち運ぶ時は絶対に傾けたり、倒したりしないこと。
大事に扱わないと、
水があふれたり、建物が倒れたりして、
修復するのにとても長い時間とお金がかかってしまって大変だからね。
最後にもう1つだけ。
たとえあなたがこの仕事についたとしても油断しないこと。
この仕事をしていると、
自分が神様になったような錯覚を起こすことがある。
でもよく考えてみて。
僕があっちの世界を観察しているってことは、
僕がいるこの世界も誰かに観察されている可能性があるってことだろ。
自分が世界を操っているように見えて、
この世界の中では僕も操られている側かもしれない。
だからこの仕事についた人はみんな最初にこう教えられる。
物事がうまくいっているときこそ、
主導権がどこにあるか確認しておけ。
ってね。
さぁ、明日は別の街の観察をすることにしよう。
(以上、展示しているお話です)
心の中で思っていたことや頭の中で考えていたことが現実になるってこと、
たまにありません??
あの人に会いたいなーと思っていたら、
偶然その人に出会うことができた、
みたいな、
運命みたいなこと。
神様からのプレゼントみたいなこと。
そーやって物事がうまく進むと、
誰かがそのように仕向けているんじゃないかと思う。
この世界を遥か上空から観察していて、
自分たちが寝ている間に催眠をかけたり、
気が付かない程度に街並みを変えたりして、
物事がそっちの方向にしか進まないような環境をつくりだしているんじゃないかと。
そんなことを思って綴ったのが、この物語です。
自分の身の回りのことがうまく流れているとき、
それはもしかしたら誰かのおかげかもしれない。
自分が努力してるからだもんねー、
と調子にのるのではなく、
周りにも目を向け、
客観的な視線で自分を見つめなおすことも大事だなーと思う。
(そんなことを気にせず、とにかく突き進んでみたい、とも時々思うけど)
物事がうまく進んでいるときにこそ、
それをしっかりやっていこーと、
僕は思っている。
最後まで目を通していただきありがとうございます。
展示12日目終了でございます。
「1日の終わりに」という話。
1月15日(金)~29日(金)までの2週間、
久茂地リバー沿いにありますたそかれ珈琲さんで、
言葉の展示、
「暮らす、綴る、繰り返す。」
をさせていただいています。
日々の生活で感じた事を10+αの物語にのせて展示しています。
このブログ上で、
展示している物語に副音声的解説を加えて、
1日1話づつ紹介していこうと思っています。
今日はその第10弾です。
(以下、展示しているお話です)
「1日の終わりに」
PM 11:55
幸せってなんだろう。
私にとって。
みんなにとって。
こんなことを考えている私って痛いやつ。
朝から無難に仕事をこなし、
レンジでチンした昼食を食べる。
無理やり笑顔をつくりながら午後の仕事もそれなりにこなし、
仕事帰りに夕食を食べる。
仲の良い同僚たちと会話をしなかったら、
ここまでの出来事は記憶どころか、記録にも残さないかもしれない。
そして、家に着いてお風呂に入り、
缶ビールをあけてソファーに寝転がる。
スマホの画面でSNSをひらき、
友達やまだ出会ったこともないその誰かが、
今日1日をどのように過ごしていたのかをぼんやり眺める。
あとは寝るだけ。
これが私の1日。
それぞれの瞬間はとても楽しいけれど、
誰かに紹介するような特別なことは私の周りには起こらない。
昨日もそう。
きっと明日も。
それなのに、私はまた明日を求めてしまう。
だからこそ、私はまた明日を求めてしまう。
何も起こらない、それでいて幸せな毎日が続くことを期待して。
そんなこの世界が、
私は大好きで、大嫌い。
みんな、おやすみ。
(以上、展示しているお話です)
これはもう書いたことそのままですねー。
何かがあろうが、なかろうが、
今日も明日も大事な1日だと思う。
みんなのSNSを見ていると、
自分だけが平凡な1日を過ごしているような気持ちになる。
みんな楽しそうな写真をアップしてるけど、
自分には何もないなーって。
でももしかしたら、
本当は自分にも特別なことが起こっていて、
それに気が付いていないだけなんじゃないか、
とポジティブな気持ちで1日と向き合ってみる。
きっと面白い瞬間が訪れる、
きっとみんなに話したくなるようなハプニングが起こる、
さぁ、どの瞬間をSNSに投稿しようかなー、
なーんてネタ探しをするような気持ちで1日を過ごしてみると、
そう、
やっぱり普通の1日なのである。
日々の暮らしとはそういうものなのだと思う。
誰かに伝えたくなるような特別な出来事なんて、
そう簡単には起こらない。
僕は「アフタースクール」という映画が好きで、
その中で、
「学校がつまらないのは、学校のせいじゃない。お前がつまらないのは、お前のせいだ」
というセリフが出てくる。
このセリフを僕はとっても気に入っている。
なぜなら、
まさにそのとーりだと思うから。
つまらないと思ってやっていることは、
やっぱりつまらないよね。
何かがあろうが、なかろうが、
その1日を楽しんだらいいんじゃないかな。
どんな小さなことだって、
喜んだらいいんじゃないかな。
特別なことが起こらないことを、
平和でいいねーなんて笑いながら過ごせばいいんじゃないかな。
こーやって文章を書いていることが誰かのためになるかどーかは知らないけど、
自分が楽しいんだからそれでいーじゃねーか、
と思いながら、この物語を綴ったのでした。
最後まで目を通していただきありがとうございます。
展示11日目終了でございます。
「グラスホッパー」という話。
1月15日(金)~29日(金)までの2週間、
久茂地リバー沿いにありますたそかれ珈琲さんで、
言葉の展示、
「暮らす、綴る、繰り返す。」
をさせていただいています。
日々の生活で感じた事を10+αの物語にのせて展示しています。
このブログ上で、
展示している物語に副音声的解説を加えて、
1日1話づつ紹介していこうと思っています。
今日はその第9弾です。
(以下、展示しているお話です)
「グラスホッパー」
PM 7:20
仕事を終えて自宅へ戻ると、アパートの外階段に大きなバッタがいた。
バッタは英語で「グラスホッパー」というらしい。
その名の通り、
芝生や草原を跳びはねて移動するから、グラスホッパーなのだろうけど、
ここはアパートの外階段、アスファルトの上だよ。
私は思いきって声をかけた。
「こんばんは、ミスターグラスホッパー。
どうして君は大自然の中じゃなくて、こんなアスファルトの上にいるの?」
バッタは黙り込んでいた。
ヒトの言葉が理解できないからなのか、
私の質問にはっとさせられたのか、
それとも本当はミスグラスホッパーだからなのか。
どんな理由なのかはわからないけれど。
私は続けて「ここは本当に君の居場所なの?」と聞いてみた。
やはりバッタは黙り込んでいた。
ヒトの言葉が理解できないからなのか、
確信をつかれてちょっと凹んだのか、
それとも「君」と呼ばれることに嫌気がさしたのか。
どんな理由なのかはわからないけれど。
バッタは黙り込んだまま私の顔をじっと見た。
そして、少し間をあけてからくるりと回転し、階段の外へと勢いよく跳びだした。
アパートの3階から地上を見下ろす。
私がここから飛びだしたら、きっと骨折だけでは済まされないだろうなという高さだ。
そこにバッタは着地していて、こちらを見上げて言った。
「俺はこうやって色々なところに飛びだせる。
君こそ、ここが本当の居場所なのかい?」
どうやらミスターグラスホッパーで間違っていなかったようだ。
そして彼は、口元だけで笑って、またどこかに飛びだしてしまった。
私もつられて口元だけで笑った。
そして玄関のドアを静かにあけて、夜の暗闇から身を隠した。
(以上、展示しているお話です)
今やっている仕事が僕は好きです。
自分がやっていることに対するプライドもあるし、
プロフェッショナルでありたいという思いもあるし、
同じ仕事をしている人たちへのリスペクトもある。
18歳で専門学校に入り、
21歳でこの仕事を初めて、
25歳で職場を変え、
今に至るこの約10年。
この仕事をやっていてよかったなーと本当に思う。
それは今から1年くらい前のことだったかな、
ある友人から僕の仕事にまつわることで相談を受けた。
いつも仕事をしている時のように、
友人から必要な情報を聞き、
自分の中にある知識や経験から得た色々なことを総合して、
その質問に答えた。
今思い返しても、
自分のやったことは間違った行動ではなかったと思う。
返答の内容も間違ってはいなかったと思う。
でも、
そういう返答をするよりも前に、
もっとやらなきゃいけないことがあったんじゃないかなと思う。
相談してきた友人が、
悩んだり困ったりしていないかとか、
精神的なストレスを抱えていないかとか、
そういう相手を気遣うような声かけがなんでできなかったんだろうって。
表面上で起こっている現象ばっかりに目を向けて、
もっと深いところに入っていかなかった自分が嫌になった。
今やっている仕事が僕は好きです。
でも、それを必死になって、夢中になって、一生懸命やっているうちに、
自分が思い描いている「なりたい自分」とかけはなれちゃってないかなって思う。
正直、「なりたい自分」ってどんなだよっ、
てーのもあるんだけど、
それを探すために、それを明確にするために、
次の一歩を踏みだすことを決意しました。
あの時抱いた感情が、
次の一歩を踏み出すためのエネルギーとなっているのは間違いない。
今やっている仕事を理解するために、
今やっている仕事から離れてみるのも必要なことかもしれないなー、
と思いながら、この物語を綴ったのでした。
最後まで目を通していただきありがとうございます。
展示10日目終了でございます。
「お客様は神様」という話。
1月15日(金)~29日(金)までの2週間、
久茂地リバー沿いにありますたそかれ珈琲さんで、
言葉の展示、
「暮らす、綴る、繰り返す。」
をさせていただいています。
日々の生活で感じた事を10+αの物語にのせて展示しています。
このブログ上で、
展示している物語に副音声的解説を加えて、
1日1話づつ紹介していこうと思っています。
今日はその第8弾です。
(以下、展示しているお話です)
「お客様は神様」
PM 5:08
はじめて来たこの街で、ふらりとこの珈琲屋に立ち寄った。
そして、カウンターの席に1人座り、苦めの珈琲を注文した。
帽子を目深にかぶり、口の周りに髭を生やした私の姿は、
不潔だと思われやしないかと心配していたが、
そんなことは誰も気に留めていないようだ。
左後方に座っていた男女2人が会計のために席をたつ。
今夜の夕飯は何にするのか相談しているのだろう、
「夜はパンじゃないでしょ」
なんて、まるで世界の常識を語るかのように男が話す。
店主にお金を渡し、
お互いに「ありがとうございました」と挨拶を交わしてから店の外へ出て行く。
この街では店主と客と両方の立場から感謝の意を述べるようだ。
右後方のソファー席に座る女性はこの店に来てから長いこと本を読んでいる。
注文した食べ物や飲み物が運ばれてくるたびに、
写真を撮ってはその画面を確認している。
そしてしばらくしてからそれらに手をつけ、
1口ほおばるごとに幸せな表情を浮かべている。
この街では日々口にする食事も記念として写真に残すようだ。
組んでいた足を崩そうとした時、足元に置いていた箱を蹴飛ばしてしまった。
我ながら、軽率なことをしてしまったと思う。
中身が壊れていないか、取り付けられている小さな窓から確認しようとしたが、
その姿を周りの人に見られたら、さすがに怪しまれてしまうと思い、
揺れを抑えるようにして、丁寧に足元に置きなおす。
ビールケースほどの大きさのこの箱を預かる仕事をはじめてまだ日が浅いが、
この街の住人たちはこんなものを常に持ち歩く私のことを、
気にも留めていないようだ。
だとしたら、
この仕事を続けるのに、この街にいることは都合がいいのではと思った。
と同時にそれは寂しいことではないかとも思った。
私は珈琲を飲み干してから、会計を済ませ、両手で箱を抱えて店を後にした。
客の方からも「ありがとう」を伝える意味が理解できたような気がした。
少なくともこの店においては。
(以上、展示しているお話です)
旅行や帰省のために内地へ行き、
電車に乗るたびにいつも思う。
肩と肩が触れ合うその距離にいる人になぜ何の関心も抱かないのか、と。
隣に座った人と話をしたいとか、そーいうことじゃないけど、
パーソナルスペースに見ず知らずの他人が入り込んでいるのに、
まるでそこには何も存在しないかのように立ち振る舞っている姿が、
たくましくもあり、少し寂しくも見える。
僕が沖縄に移住してきた理由の1つはこれだ。
内地に住んでいた頃、
電車に乗って色々なところへ出かけた。
電車に乗ればすぐに、本を読んだり、携帯の画面を眺めたり、
心地よい揺れに眠ってしまうことも多かった。
つまり、
その当時は僕もそっち側だった。
初めての沖縄旅行でゲストハウスに宿泊した。
街灯もないような田舎道を走り、
本当にここでいいのかというような狭い道を通ってたどり着いた小さな宿。
そこには日本各地から多くの人が宿泊していた。
当然みんな初対面。
そんな人たちと一緒に夕食を食べ、片付けを一緒にして、お酒を飲んで。
そして街灯もないような田舎道を自転車でぶっ飛ばし、
どこからかケーキを買ってきてくれて彼女の誕生日祝いをしてくれた。
初めてゲストハウスに宿泊した僕にとって、
初対面の人と短時間で心のやりとりができる、
ということは衝撃的な体験だったということを今でも覚えている。
そしてそれと同時に、
そっち側ではなく、
こっち側のほうがいい、と思った。
それがたまたま沖縄だったというだけで、
世界のどこにいても、こういうことはごく普通に行われているのかもしれないけど、
(そうであってほしー)
沖縄にいる人たちは温かいなー、
僕もそういう心を忘れちゃいけないなー、
あっ、
ここに住んじゃえば自分もそうなれるんじゃない??
よしっ、
沖縄に住むぞっ!!
と、単純に考えてしまったのでした。
・・・そう思ってから 3年後。
彼女は奥様となり、一緒にこの沖縄の地に移住しました。
移住してからはそのゲストハウスに宿泊する機会は少なくなってしまったけど、
あの時に体感したことを、
今は久茂地リバー沿いの小さな珈琲屋さんで体感しています。
沖縄での暮らしを振り返るにはまだ早いけど、
沖縄に移住してきて本当によかったなーと思いながら、この物語を綴ったのでした。
最後まで目を通していただきありがとうございます。
展示9日目終了でございます。