何度も言いたいセリフ。

仕事帰り、

チケット購入目的にコンビニに立ち寄る。

自動ドアを通り抜け、いざ店内へ。

機械の前に立ち、優しく画面に触れて予約番号を入力。

日本心配性協会に所属する僕は、

何度も何度も番号を確認。

丹精込めて必要事項を入力し、

プッシュOKボタン。

長ーいレシートをまるで我が子のように両手で抱えレジへ。

 

レジにたどり着くと、

僕に背を向けた店員Aが、

小銭計算だかなんだか、黙々と作業中。

「あのーすいません」

の声掛けに対し、ゆっくりと振り返った店員Aは、

「あっちょっと・・・」

と店員Bに目で合図。

陳列棚の奥の方から店員Bくんがダッシュでレジで。

店員Aよ。

その作業は後にして、あなたが対応してくれたら早いんじゃないのかい・・・

を空気と一緒に飲み込むとほぼ同時に、

「ーしゃいやせー」と店員B。

(おっ、今日の店員はなんかありそーだぞ)

おそらくいらっしゃいませであろうその声を耳にし、

しっかり挨拶ができる日本人の美徳も、

とーとーこんなのになってしまったか、

世も末だな・・・

という思いを押し殺し、

大事に抱えていたレシートを手渡す。

人と人とのやりとりで生まれる温もりのようなものはそこにはなく、

虚しく響き渡るレジの電子音。

成人男性2人が向き合うレジ1台分のその距離は、

手を伸ばせばすぐに触れることができる距離なのに、

こんなにも遠く感じるなんて、

世も末だな・・・2

業務的に料金を支払い、

お釣りをサイフにチャリチャリとしまっていると、

「チケットを容器に入れますか?」

と店員B。

(ん?容器?

これまでに何度もコンビニでチケットを購入しているけれど、

容器に入れてもらったことなんてないぞ。

もしやチケットがクシャクシャにならないようにハードケース化したのか。

それはそーとー興味深い。

ならばどんなのかしかと見届けようじゃないか)

「お願いします」

奥の方から店員Bが何やら持って戻ってくる。

遠目ではっきりはしないが、

あれは間違いなく封筒である。

僕のこれまでの教育が間違っていなければ、

紙で出来た封筒を「容器」と表現する概念は存在しない。

そして僕の前に立ち、

「こちらの容器でよろしいでしょうか?」

(いや、それは容器と呼ばないやろーーーーー!)

差し出されたそれは間違いなく封筒であり、

「容器」と表現されるようなしっかりしたものではなかったのである。

彼としては丁寧な表現をチョイスしたつもりかもしれないが、

コンビニの店員として働き、

この街の人々の生活を支えている成人男性の日本語力はこれかと思うと、

世も末だな・・・3

 

それでも彼はレジでの仕事をミスなくこなし、

チケットは僕の手元におさまったわけで、

これで一件落着。

自動ドアを通り抜けようとした僕の背中に、

「どーもありしゃーしたー」

と一声。

おそらくどうもありがとうございましたであろうその声は、

冷たい夜の風にかき消されていったのでした。

 

最後まで目を通していただきありがとうございます。

 

とりあえず「世も末だな」って言いたかったんです。