野菜から学ぶ。
昨日の夜、
奥様の実家からダンボールいっぱいの野菜が届いた。
定期的に送っていただけるので、
我が家の家計はとても助かっている。
大事に、
ありがたくいただかないとなーと思いつつ、
1つ1つ取り出して、
冷蔵庫なり、野菜BOX的なところに移し変える。
普段あまり料理を作らない僕にとっては、
野菜の元のカタチ、
そもそも「元のカタチ」と表現するのも変なのかもしれないけれど、
料理する前のありままの状態、
に触れる機会があまりない。
買い物に行っても、
使い切れずにダメにしてしまってはもったいない、
ということで、
半分にカットされているものを選ぶこともあるから、
ってのもその理由かもしれないけれど。
そのカタチを見るだけでなく、
野菜に触れて、
重さとか、
温度とか、
質感を感じると、
自然界にあるものってのは、
なんてムダがないんだろう、
と思う。
そーいえば、
井上雄彦さんが本の中で、
「植物の美は、無限に広がっていながら、完璧におさまっているようだ」
と言っていたのを思い出す。
野菜は食料である前に、
植物であって、
生命である。
それは、
自分の好みでどんなカタチにでも成りうるような自由さを持っていながらも、
周囲の環境にしっかりと溶け込んでいる。
一方で、
周囲の環境に応じてカタチを変えられる臨機応変さを持っていながらも、
ある特定のカタチからははみ出さないスタイルを持っている。
ヒトは高等動物である前に、
動物であって、
生命である。
極端なことを言えば、
自然の一部なんだと思う。
でもどこかで、ヒトは人であって、
自然の一部とは違うという発想もあるような気がする。
こーでありたいという理想と、
そーはならないという現実。
そっち側に行くとムダが削ぎ落とされたシンプルなモノになれるだろうか。
そっち側に行く過程でムダが削ぎ落とされていくのだろうか。
いづれにしても、
野菜のありのままのカタチに触れ、
自然の邪魔をしない、
ということに改めて憧れを抱いてしまったということだ。
最後まで目を通していただきありがとうございます。
要するに自然と共存する生き方をしていきたいってことですね。