博士と彼女のセオリー。

友達から映画鑑賞券をいただいたので、

仕事終わりに、

那覇にある映画館まで車を走らせて、

「博士と彼女のセオリー」

を観てきました。

(もっちゃん、あざすー。)

事前情報はまったくなかったのですが、

アカデミー賞最有力と、

注目されている作品のようです。

こちら。

f:id:saitohbanana:20150314235343j:plain

物事には必ずはじまりがあるけれど、

後になって、

あー言われてみればあれがはじまりだ、そーだ、そーだった、

と思い返すことがほとんど。

 

そこに存在するモノは、

長い時間をかけて洗練され、凝縮されるけれど、

周りとの境界線がはっきりしない、

ある意味「無」の状態である。

その「無」と別の「無」が衝突したり、混ざり合うことで、

新しいモノが誕生する。

これが物事の「はじまり」なのだろうけれど、

なんせ「無」と「無」が混ざり合って、

新しい「無」が誕生するわけだから、

その瞬間にそれを意識することは難しいことなのだろう。

 

宇宙の誕生のような壮大な出来事も、

人と人との出会いのような身近な事も、

必ず「はじまり」はあるわけで、

(「きっかけ」と呼ばれたりするのがこれなんだろーな)

今現在の状態があるのは、

いくつものはじまりが、

いくつもつなぎ合わさって成り立っている。

そうだとすれば、

毎日の中にムダな瞬間なんてのは、

きっとないんだろーな。

 

何気ない今日は、

忘れられない昨日になって、

希望にあふれる明日へとつながっていくのだろう。

 

これからこの映画を観る人もいると思うので、

細かい内容は割愛しますが、

僕のお気に入りシーンを少ーしだけ紹介。

 

アメリカでのホーキング博士の講演で、聴衆から、

「博士の人生の哲学は??」的なことを質問される。

(ALSという難病に冒された博士は、この時自分で話すことすら難しく、電動車椅子で移動をしている)

その質問の最中、

博士の目の前の女性が持っていたペンを床に落としてしまう。

それを見つけた博士がだんだん悲しい表情に変化したかと思うと、

力なく歪んでいた体が病前の状態に戻り、

両足で立ち上がってペンを拾おうとする。

がしかし、それは幻で、

電動車椅子の上に横たわった姿の映像が再び映し出される。

 

博士は優れた知能を持ち、

世界的に有名な学者となった。

でも本当は、

誰もが羨む天才物理学者である前に、

落としてしまったペンを拾ってあげるような、

優しい心をもった1人の人間であり続けたいと、

彼は感じていたのではないだろーか。

それができなくなってしまったことを悔やみながらも、

それでも前に進み続ける彼の姿を表現したこのシーンが、

この映画の中の僕のお気に入りでございます。 

 

最後まで目を通していただきありがとうございます。

 

主演のエディ・レッドメインフェリシティ・ジョーンズの演技がすっごくイイです。