博士と彼女のセオリー。
友達から映画鑑賞券をいただいたので、
仕事終わりに、
那覇にある映画館まで車を走らせて、
「博士と彼女のセオリー」
を観てきました。
(もっちゃん、あざすー。)
事前情報はまったくなかったのですが、
アカデミー賞最有力と、
注目されている作品のようです。
こちら。
物事には必ずはじまりがあるけれど、
後になって、
あー言われてみればあれがはじまりだ、そーだ、そーだった、
と思い返すことがほとんど。
そこに存在するモノは、
長い時間をかけて洗練され、凝縮されるけれど、
周りとの境界線がはっきりしない、
ある意味「無」の状態である。
その「無」と別の「無」が衝突したり、混ざり合うことで、
新しいモノが誕生する。
これが物事の「はじまり」なのだろうけれど、
なんせ「無」と「無」が混ざり合って、
新しい「無」が誕生するわけだから、
その瞬間にそれを意識することは難しいことなのだろう。
宇宙の誕生のような壮大な出来事も、
人と人との出会いのような身近な事も、
必ず「はじまり」はあるわけで、
(「きっかけ」と呼ばれたりするのがこれなんだろーな)
今現在の状態があるのは、
いくつものはじまりが、
いくつもつなぎ合わさって成り立っている。
そうだとすれば、
毎日の中にムダな瞬間なんてのは、
きっとないんだろーな。
何気ない今日は、
忘れられない昨日になって、
希望にあふれる明日へとつながっていくのだろう。
これからこの映画を観る人もいると思うので、
細かい内容は割愛しますが、
僕のお気に入りシーンを少ーしだけ紹介。
アメリカでのホーキング博士の講演で、聴衆から、
「博士の人生の哲学は??」的なことを質問される。
(ALSという難病に冒された博士は、この時自分で話すことすら難しく、電動車椅子で移動をしている)
その質問の最中、
博士の目の前の女性が持っていたペンを床に落としてしまう。
それを見つけた博士がだんだん悲しい表情に変化したかと思うと、
力なく歪んでいた体が病前の状態に戻り、
両足で立ち上がってペンを拾おうとする。
がしかし、それは幻で、
電動車椅子の上に横たわった姿の映像が再び映し出される。
博士は優れた知能を持ち、
世界的に有名な学者となった。
でも本当は、
誰もが羨む天才物理学者である前に、
落としてしまったペンを拾ってあげるような、
優しい心をもった1人の人間であり続けたいと、
彼は感じていたのではないだろーか。
それができなくなってしまったことを悔やみながらも、
それでも前に進み続ける彼の姿を表現したこのシーンが、
この映画の中の僕のお気に入りでございます。
最後まで目を通していただきありがとうございます。
主演のエディ・レッドメイン、フェリシティ・ジョーンズの演技がすっごくイイです。