3月の森。

最近、

自分の立ち位置は変わっていないのに、

周りの景色が移り変わることで、

見える世界が違ってみえる、

っていうことと、

自分の立ち位置を変えることで、

周りの景色は変わっていないのに、

見える世界が違ってみえる、

っていうのは、

似ているけれど、

どこか違うんだよなー、

と思っていた。

 

世界が違って見えるのは、

自分自身が行動しているからだ、

ということだけではないということ。

周りが僕に働きかけて、

違った世界を見せてくれているということもある。

まぁ、どっちがいいとか、

そーいう事は置いておいて。

 

この前ある森を訪れた。

 

僕の知っている森は、

(よーく考えたら森がどんななのかわかっていないんだけど)

木々の間から差し込む光が、

自分の中の悪いモノすべてを浄化してくれるんじゃないかという、

スピリチュアルな感覚があって、

このままその森に優しく包むこまれてしまいたい、

という気持ちと、

広大で、

先が見えなくて、

どこが一体この森の終わりなんだろうかという、

不安な感覚があって、

このままこの森の深みに埋没してしまいそう、

という気持ちが、

混在している。

そんなイメージ。

 

どこからともなく心地良い音楽が聞こえていたけれど、

それ以外時間の流れを感じさせるモノはなく、

たまたま1人だったからってのもあって、

とても静かな森だった。

その中のある1点で足が止まって、

そこをしばらく眺めていた。

なんでなのか自分でも理由はわからないんだけど、

立ち止まっていたほうがいいような気がしたから。

今思えば、

そこが好きだから、

ということなんだろうけど。

  

昨日その森にもう1回行った。

どこからともなく心地良い音楽が聞こえてくるのは変わりないけれど、

先客が何人かいて、

本をペラペラめくっていたり、

友達と話をしていたり、

ちょっと来て、すっと帰っちゃう人がいたり、

遠くで車の音が聞こえたりして、

時間の流れを感じさせるモノがたくさんあった。

とても賑やかな森だった。

この前足を止めたある1点で、

今度は足が止まらなかった。

なんでなのか自分でも理由はわからないんだけど、

立ち止まらなくていいような気がしたから。

今思えば、

ここに立ち止まっていないで、

みんなと同じように自由にすごしていいよ。

その流れに身を委ねておいていいよ。

って言われたような気がする。

 

その森には、

これまで知っていた森と同じように、

すべてを受け入れてくれるような優しさがあったけれど、

深みにはまりこんでしまうような不安感はなかった。

それはきっと、

この森を創り上げたどこかの主様の想いや、

その主様そのものの存在感なんかが、

色濃く反映されているからだろーなと思う。

 

あなたもこっちに来なさいと強く主張するでもなく、

私はここにいるからけっこーですと謙虚すぎるわけでもない、

優しくて温かい世界が、

この森には広がっている。

 

最後まで目を通していただきありがとうございます。

 

素敵な景色を見せてくれて、

ありがとぉー(チンペーさん風)。