できれば後ろ向きで歩きたくはない。

沖縄に移住してから、

すっかり疎遠になってしまったけれど、

内地に住んでいた時は、

奥様や友達と一緒に、

山登りにちょこちょこ出かけていた。

 

山登りの楽しみの1つに、

写真を撮る、

ってのがあって、

大して写真は上手じゃないんだけれど、

思い出をカタチにしようじゃないか、

ということで、

山登りに行く時は必ずカメラを持っていった。

 

景色やその他モロモロ、

写真を撮りながらゆっくり歩くもんだから、

列の最後尾に位置することが多く、

自分で撮った写真の途中経過を確認すると、

友達の後ろ姿ばかりになっていることがほとんどで、

休憩のタイミングを見計らって最前列に移動する、

なーんてことがあった。

 

最前列で列よりもちょっと前を歩き、

歩いている皆の姿を写真に撮ろう、

となると、

必然的に後ろ歩きをしなくてはいけない。

この後ろ歩き、

意外ときつい。

 

人間の足は前に向かっているので、

当然、前方に対しての安定性を確保しやすい構造になっている。

だから、後ろに進むとなると、

バランスを崩す危険性が高いため、

動きがゆっくりになったり、

変な力がはいったり、

効率性の悪い動作となる。

それに目だって前にしかついていないんだから、

視覚的情報が得られない後ろへの進行は、

足の裏からの感覚情報に頼らなくてはいけないし、

周辺視野をフル活用して、

後方の空間がどうなっているのか予測しなくてはいけない。

・・・などなど、

色々な要素が絡み合って、

結果、

そりゃー労力を費やすにきまっているでしょ、

というわけだ。

 

身体的な負担がかかるってことだけじゃなくて、

できれば後ろ歩きをやりたくない理由に、

もうちょっとで目的地に着くぜっていうワクワクを感じながら進みたい、

ってのと、

その場その場で目的地の見え方が移り変わる様を楽しみたい、

ってのがある。

 

今から辿り着くところがどんなところなのか、

向き合っていたい。

確かにそこを目指して進んでいるんだから、

どんな歩き方をしていても、

いつか必ず辿り着くのだけれど、

やっぱりそこに向かって進んでいるほうが、

活き活きとするっていうか、

迷いがないと思うんだよね。

後ろ向きに歩いて、

みんな大丈夫かなとか、

落し物ないかなとか、

そーいうのも大事だと思うんだけど、

考えすぎちゃうっていうか、

それは何のために、誰のために歩いているんだ?

ってなっちゃうと思うんだよね。

 

そーいう歩き方も嫌いじゃないけれど、

そーいう歩き方だけじゃ疲れてしまうよね。

周りを気にしすぎずに、

行きたい方向に、

ただただ真っ直ぐ進んでみてもいいのかもなー、

なーんて考えることが、

最近増えている。

 

最後まで目を通していただきありがとうございます。

 

迷いがあると、言いたいこともすっと出てこないぜ。