「タンブラーの中身」という話。

1月15日(金)~29日(金)までの2週間、

久茂地リバー沿いにありますたそかれ珈琲さんで、

言葉の展示、

「暮らす、綴る、繰り返す。」

をさせていただいています。

日々の生活で感じた事を10+αの物語にのせて展示しています。

このブログ上で、

展示している物語に副音声的解説を加えて、

1日1話づつ紹介していこうと思っています。

 

今日はその第2弾です。

(以下、展示しているお話です)

 

「タンブラーの中身」

 

AM 7:42

 

「早くしないと遅刻するよ」

という声が耳に届いたが、

それには反応せず、

テレビの中からジャンケンを挑んでくるお姉さんの声に反応してしまう。

「ジャンケンは何かを決める時にやるものであって、

勝った負けたを純粋に楽しむものではないのでは」と。

そんな批判的な意見ばかり思い浮かぶ自分の思考回路に嫌気がさす。

 

「もうこんな時間だよ」

と催促する声が耳に届き、

あまり乗り気ではなかったけど、

ソファーからゆっくりと腰をあげ、誰に聞かせるでもなく返答してしまう。

「この時間だったら絶対遅刻しないよ。

仮にこの時間に家を出て遅刻したら、それは世界のせいだ」と。

そんなひねくれた言い訳を用意している自分の思考回路に本当に嫌気がさす。

 

玄関で靴を履きながら、お弁当の入った袋を受け取る。

「そういえばさ、このタンブラーの中身って、お湯の水割り?それとも水のお湯割り?」

という私の質問に、明らかに表情が変わる。

怒ったというより、呆れたという表情に。

 

「これってけっこう大事なことなんだよ。

どっちが主導権を握っているか、ちゃんと確認しておかなくちゃ」と伝えたが、

返答は得られないまま、ため息まじりの声とともにドアの外へとおしやられた。

 

物事がうまくいっているときこそ、

主導権がどこにあるか確認しておかないといけない。

ほら、

パスを回されているのと、

パスを回させているのでは、

同じように見えて、全然違うだろ。

という小さい頃に教えてもらったことを思い出しながら階段へと向かう。

 

階段の前で一度立ち止まり、手を振る。

あんなにそっけなかったのにしっかり見送りしてくれる。

さぁ、今日も定時で帰ってこよう。 

 

(以上、展示しているお話です)

 

以前、職場の同僚に、

「あなたが自由に行動しているふうに見えて、

実は奥様がそれをしっかりコントロールしている感じがいいよね」

と、我が家の夫婦関係を褒めてもらったことがありまして。

(実際にはこういう表現ではなかったけど、こういうふうに解釈しました。

意味間違えてたらごめーんね)

 

自分ではそういう意識はまったくなく、

その観点でみたらむしろ逆じゃねーか、

と思ったので、はっとさせられました。

 

 自分の行動や感情は、

すべて自分が生み出しているわけではなくて、

周りの物事によってそうさせられている部分っていうのがあると思います。

その時に、

「そっちがそうくるなら、こっちはこう」

みたいな、一歩引いた対応というか、一度こっちの解釈を挟んだうえで返す、

ということをするだけで、

その次の物事が喧嘩に発展せず、円滑に進む場合もあるんじゃないかなーと。

 

その場の空気、あるいは自分の行動や感情が何によってそうなっているのか、

を知っておくこと、

つまり、

主導権がどこにあるかを確認しておくことは、

自分にとっても、相手にとっても、

気持ちよく過ごすために必要なことではないでしょうか。

その中で自分のスタイルをキープする、

流されたり、抗ったりするのではなく、流れにのること、

も大事だと思っています。

たしかにその意見は自分の考えとは違う。

でも、その発想もありだよね、うん。

みたいな。

 

もちろん、そんなことをいちいち考えたり計算して過ごす毎日はつまらないので、

そういう気持ちを自然に保っていられるような人間性であったり、

夫婦の関係を構築していけたらいいなー、

と思いながらこの物語を綴ったのでした。

 

この物語の2人は一体どちらが主導権を握っているのか、

そんなことにも注目して読んでもらえたら嬉しーです。

 

最後まで目を通していただきありがとうございます。

 

展示3日目終了でございます。