「夜明けの街」という話。

1月15日(金)~29日(金)までの2週間、

久茂地リバー沿いにありますたそかれ珈琲さんで、

言葉の展示、

「暮らす、綴る、繰り返す。」

をさせていただいています。

日々の生活で感じた事を10+αの物語にのせて展示しています。

このブログ上で、

展示している物語に副音声的解説を加えて、

1日1話づつ紹介していこうと思っています。

 

今日はその第1弾です。

(以下、展示しているお話です)

 

「夜明けの街」

 

AM 6:58

 

寝室をこっそり抜け出し、

助手席に缶珈琲と1冊の本をのせ、まだ薄暗い夜明け前の街へ。

 

この歳になって、

飲み会の雰囲気だけでなく、お酒の味も楽しめるようになった(つもりでいる)。

そうやって夜な夜な遊ぶようになったおかげで、

高揚感と空虚感に包まれながら1日は終わっていく、

ということ、

つまり、1日の終わり方を覚えた。

 

では、1日のはじまり方はどうなっているのだろう、

と疑問を抱き、

さっそく車を走らせ、街を見下ろすことができる高台へと向かった。

 

ベンチに腰掛け、本を読みながら1日のはじまりを待とうと思ったが、

僕が想像していた以上に世界は暗かったので、

ジョギングをしている人と簡単な挨拶を交わす以外は特に何をするでもなく、

ただただそこに存在していた。

 

薄暗い街に少しずつ光が届き、

世界がゆっくりとそれぞれの色に染まっていく。

その様を眺めていたら、

この街の住人は、みんな箱に入れられていて、

その箱に取り付けられている小さな窓から、誰かに観察されている、

というおとぎ話のような世界も、

もしかしたら本当にあるのかもしれないと思った。

 

僕が想像していたよりも、

ずっと静かに、ゆっくりとこの街は動きはじめていた。

それはどこか、

1日の終わり方と似ているような気がした。

 

そして、

鮮やかさと力強さを内に隠すかのように、光が街の隅々にまで届いた頃、

僕は車に乗り込み、

朝の街へと走り出した。

 

(以上、展示しているお話です)

 

これはほぼほぼ実話です。

ここ最近、

友達と遊ぶ=飲みに行く、

というようなことが続いていて、

なんか違うぞ??

って思ったんですよね。

小学生の時は朝7時前から友達の家で桃鉄やってたし、

中学生の時は部活やってるってーのにさらにサッカーやってたし、

高校生の時はなーんにもないのに休日に学校に行ったり、買い物に行ったり。

遊ぶって言ったらこんなにバリエーションがあって、

その中で生きていくために必要なこととか、

本当にどーでもいいようなこととかを身につけたのに、

歳を重ねて身につけたモノは脂肪と情報ばっかり。

 

それで、

じゃー夜じゃなくて朝遊んでみよう、

元旦じゃなくたって日の出を見よう、

と思いつき、

夜な夜な寝室を抜け出し、車で首里の高台へ行きました。

っで僕は日の出まで本を読んで過ごそうと思ったんです。

でも外は暗すぎて、本の字が見えなくて。

馬鹿みたいだけど、

太陽が出てくるまで本の字が見えないほど世界は暗い、

ってことに気が付かなかったんです。

街頭や人気があって明るいはず、

とどこかで思っていたのでしょう。

 

それからは街、空、海が刻々と色を変えていくのをただただ眺めて、

人が活動しはじめ、色々なところから響いてくる音を聞いて、

1日のはじまりのエネルギーや喜びみたいなものを、

体中で浴びてその時間を過ごしました。

世界に少しづつ光が差し込んで、

だんだん街の隅々にまで光が届いていく様子を見ていたら、

この世界の窓を開ける係が上空にいるんじゃないかと思い、

本文にそんな一文をいれました。

なんでもない1日だけど、

1日のはじまりは神秘的で美しいモノでしたよ。

 

1日のはじまりと終わりは、

まったく別のモノだけれど、

高揚感と空虚感、喧噪と静寂、

といった相反するモノが存在していて、

その空気感や時間の進み方がなんとなく似ていたなーと思い出しながら、

この物語を綴ったのでした。

 

最後まで目を通していただきありがとうございます。

 

展示2日目終了でございます。