「角度」という話。

1月15日(金)~29日(金)までの2週間、

久茂地リバー沿いにありますたそかれ珈琲さんで、

言葉の展示、

「暮らす、綴る、繰り返す。」

をさせていただいています。

日々の生活で感じた事を10+αの物語にのせて展示しています。

このブログ上で、

展示している物語に副音声的解説を加えて、

1日1話づつ紹介していこうと思っています。

 

今日はその第6弾です。

(以下、展示しているお話です)

 

「角度」

 

PM 2:13

 

窓から差し込む光が、カーテンや家具にぶつかって屈折し、

床に色々な模様をつくっている。

小さい頃、

こうやって窓から差し込んだ光が、

1本の線になって床に届く様子を見て、

「キラキラしてきれい」って言ったら、

「あれは埃が空中を舞っているだけだよ」とさらっとお母さんに返された。

手が泥だらけになることも、

絵の具が顔についてしまうこともいとわなかった幼い私にも、

埃は汚いもの、という認識はあったから、

少しショックだったことを今でも覚えている。

 

「気が付いた人が、できる時に、できるだけやる」

というのが我が家の家事のルール。

こうやっていつもと違う時間に掃除をしていると、

普段は目が届かないところにまで光が差し込むので、

埃がたまっているのが見えてしまう。

見なかったふりをするわけにもいかず、

床に這いつくばって隅々まで掃除をする。

人間は両手を自由に使用するために二足直立歩行をはじめたらしいけど、

こんな時ばかりは四足で移動ができたら楽なのに、

と思いながら疲れた腿を揉みほぐす。

 

少し休憩しようと床に腰をおろし、

大の字に寝転がってみる。

久しぶりに床に寝転がったせいか、天井がとても高く見えた。

窓から差し込む光が、カーテンや家具にぶつかって屈折し、

床だけでなく、壁にも色々な模様をつくっている。

「やっぱりキラキラしてきれいじゃん」

 

そろそろ出かける準備をしなきゃいけないのはわかっていたけれど、

この時間にもう少し身を委ねておこうと思い、

私はそのまま目を閉じた。

 

(以上、展示しているお話です)

 

玄関のドアスコープから室内に差し込む光が収束して、

その向かい側にある壁に外の景色と同じような色を映し出していることがある。

これを見つけるたびに、

カメラの仕組みってこういうことなんだよなー、

ということを思い出す。

 

現代ではカメラは手のひらサイズくらいのものになっているけど、

昔、昔のそのまた昔の頃は、

プレハブ小屋みたいな大きな箱に小さな穴をあけて、

壁に映し出された景色を模写して風景画を完成させていたとか。

それで「カメラ=暗い部屋」という由来だと、

そんなよーなことを聞いたことがある。

 (間違っていたらごめんなさい)

 

そして、外に出るために玄関を開けてしまうと、

光が一気に入り込んでしまって、

壁に映し出された色は消えてしまう。

(これカメラでいう白飛びの状態ですかねー) 

 

僕の中の勝手な統計では、

日本人ははかないものが好きである。

花火とか、

流れ星とか、

虹とか、

夢とか。

たぶんこれもそーいった類のものなのではないでしょーか。

光は明暗や影だけでなく、

色も創りだしているのはおもしろいよなーと思い、

光に焦点をあてた物語をつくってみたら、こんな感じになりました。

必ず見られるものではなくて、

天気とか時間帯、

光の角度によって外の色が映し出されている場合があるので、

みなさん見つけてみてね。

 

そして角度という視点で考えてみると、

部屋の掃除をしたあと、いつもより部屋が広く感じる、

ということがあります。

散らかっていたものが整理されて、

有効利用できるスペースが増えたから、

ということもあるでしょうけど、

床に這いつくばったり、

家具の裏をのぞき込んだり、

家の中の隅々に目を向けることで、自宅内の環境を把握しなおしたから、

ということも関係しているのではないでしょうか。

ほら、

飲み会なんかで、

ずーっと自分の席に座っていると、

誰が来ているのかわからなくて落ち着かないけど、

乾杯の合図でいったん立ち上がってみんなのところに挨拶周りをすると、

誰が来ているのか把握できてほっとするみたいな。

そんな感じ。

 

これらのことを整理すると、

モノの見え方が変化するには2通りのパターンがある。

1つは、

自分以外のモノが変化して、自分に違う景色を見せてくれているパターン。

もう1つは、

自分の立ち位置が変化して、自分で今ある景色を違うモノとして解釈するパターン。

の2つ。

だからね、時々気を付けないといけないなーと思うわけ。

周りのモノが違って見えた時に自分が成長したからだって勘違いしてはいけない、

って。

すべてがすべて後者じゃなくて、前者の場合もある。

むしそのパターンのほうが多いのかも。

 

こうやって文章を綴って色々表現できるようになったのも、

自分が成長したからだけでなく、

違った景色を見させてくれる周りのヒトやモノのお陰でもあるんだよなー、

と思いながら、この物語を綴ったのでした。

 

展示している物語の解説も後半戦に突入しています。

これまでの物語や登場人物なんかをふわっと思い出しながら、

今後の話にも目を通していただけたら嬉しーです。

 

最後まで目を通していただきありがとうございます。

 

展示7日目終了でございます。